2010年2月4日木曜日

どんな偉い人の本でもうのみにするな 【吉田松陰】

" 経書を読むの第一義は、聖賢に阿(おも)ねらぬこと要なり "

四書五経などの経書を読む時に第一に重要なことは孔子や孟子などの
聖者・賢者にこびへつらい、すべてをうのみにしてしまわないことである。

*四書五経
■四書
・論語
・大学
・中庸
・孟子

■五経
・易経
・書経
・詩経
・礼記
・春秋

wikipedia参照

四書五経(ししょごきょう)とは、儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経の総称。ただしこのうち『大学』『中庸』はもともと『礼記』の一章を独立させたものである。君子が国家や政治に対する志を述べる大説として日常の出来事に関する意見・主張や噂話など虚構・空想の話を書く小説と区別される。

四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」をいい、五経を以て四書よりも高しとする(なお礼記の成立受容史については三礼を参照せよ)。 「楽経」を含めて四書六経ともいう。


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自分にあてはめて考える。

またまた、勉強になる。
どんなに良い本も、どんなに頭が良いとの言葉でも自分が納得できなかれば意味がないと
いうことだそうだ。

確かにたくさん勉強しているかもしれない、たくさん生きてたくさん経験したかもしれない。そんな自分すら批判的にみる姿勢は時に必要。他人よりすごいと思い込む、話の中で自分のすごい話を無意識的にたくさんしてしまうのは、自分を相手より上位に見せたいがための事がほとんどなのだろう。

もちろんそのような人を批判してかかるのはいいのだが、前提として自分も勉強し、修養していることが大事という意味も含まれているらしい。

松陰先生、深いです。まだまだ、学ばなければ。

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